真珠は、その種類は違えど世界中に広く産出し、古今を問わず人々を魅了しています。
ここでは、日本と西欧での “真珠のもつ意味やシンボル” について、紹介したいと思います。真珠のもつ魔法の力を知って、プレゼント選びや日々のファッションが豊かなものになることを願っております。
日本では古代から、アコヤ貝からとれるアコヤ真珠(成人式の真珠のネックレスと言えば定番です)やアワビからとれる真珠が価値あるものとして珍重されてきました(南九州では縄文時代の貝塚からアコヤ真珠も出土しているそうです)。真珠を指す言葉が用いられた記録は「魏志倭人伝」までさかのぼり、「古事記」や「日本書紀」にも登場します。
古代の日本人が、真珠をどのようなものとして扱っていたかが最も分かりやすいのは、平安時代の歌集「万葉集」です。そこに用いられる “あわびだま”、“しらたま” とは真珠のことで、主として恋の歌の中で“愛すべき貴い女性”の象徴として詠まれています。他にも、“真実の貴さ” や “子どもの大切さ” を、真珠をもちいて表現した歌もみられます。当時から真珠は、日本人にとって “美と貴さの象徴” だったといえます。
一方、西欧に目を向けると、真珠は富の象徴として確固たる地位を築いています。真珠を西欧の人々が知るきっかけとなったのは、古代ギリシア時代、かの有名なアレクサンドロス大王のオリエント東征とそれから始まる東西交流だといわれています。この頃、既に真珠文化が充実していたインドから、真珠はヨーロッパに持ち込まれ始めました。時代が進み15世紀の大航海時代を迎えると、西欧諸国は東洋の植民地から真珠を搾取し始めます。
そもそも西欧では一般でなかった真珠を手に入れることは、当時の貴族や権力者のみが成し得る、贅沢でした。遠征のために大量の人的・金銭的な出資ができなければ真珠を得ることはできなかったのです。そのため、貴族たちは自らの富を顕示するために好んで真珠を装飾品としてとりいれました。また当時は、そのような理由から、男性が女性に真珠を“身につけさせる”ということも多く、女性がファッションとして真珠を身につけるのが一般になったのは、ごく新しい時代になってからだといえます。
さて、話を日本に戻しましょう。真珠は日本で「万葉集」などの歌集に貴いものとして歌われながらも、西欧のようにきらびやかな装飾品や絵画の中に描かれる真珠はあまり残っていません(貿易品として中国に輸出することはあったようです)。万葉集に歌われるような美しさと貴さの象徴ともいえる真珠の装飾品が、なぜ広く残っていないのかは謎ですが、日本において真珠はもうひとつ別の象徴性を帯びているようです。 それは、“健康・長寿の象徴”としての真珠です。
なじみのないものですが、「珠襦玉匣」(しゅじゅぎょっこう)という言葉があります。これは高貴な人の死を送る時に用いられる、宝石をちりばめた衣服と箱のことです。これはもともと古代中国で行われてきた風習ですが、中国の文化を取り入れてきた日本でも、位のある人を埋葬するときに行われてきた風習でした。
死者を送るために行われるもう一つの風習に 「飯含」 (はんがん)というものがあります。それは、死者の口の中に米や珠玉を含ませ、死体を守る霊力を込め、魂の放出を防ぐ目的で行われるものでした。日本でも、この飯含には真珠が用いられていたことがわかっています。真珠には魂や生命の象徴という意味合いが込められているようです。
また、江戸時代に書かれた薬学書「和語本草綱目」には、薬としての真珠の効能が記されていることにも注目です。約 93% の炭酸カルシウムと 4% のタンパク質から構成される真珠は、当時、貴重なミネラル源としての実用的な役割があったのです。今でも、真珠からつくられる軟膏やサプリメントは存在しています。
他の宝石とは違い、生命体である貝が「歳月をかけて育む」という真珠の形成過程は、人間に生命の力強さを印象づけているともいえるでしょう。
それらが、美しさや貴さだけではない、日本における“健康・長寿の象徴”としての真珠のシンボルを形成してきたのでした。